終戦の日
珍しく、大人びた文章を書く。令和7年。戦後80年。終戦の日を迎えた。
はっきり言おう。これまで終戦の日だからどうとか考えたことなどない。
戦争は嫌だ。人が死ぬし、人を殺さないと殺されるし、痛いくて怖いことくらい容易に想像できるからだ。
だからこそ、これまで深く考えたことなどない。戦争はすべきではない。---難しいことではない。
祖父の遺品「陣中日誌」
昨年、祖父が亡くなり、もうすぐ一年というタイミングで、祖父の残した多くの遺品を少しずつ整理していこうという話になっている。特に、本棚をいくつも埋め尽くすようなたくさんの本の行き先が問題であった。残念ながら全てを残すようなことはできないから、気になった本だけ残そうという話になった。
祖父はちょうど小学生くらいに終戦を迎えた。終戦後の苦しい時代を生き抜いたことは想像に難しくない。その時代を語る姿を孫である僕に見せなかったのは、武勇伝などに収まるような軽い話ではなかったことの裏返しなのかもしれない。
そして大量の本は、祖父が苦しい経済事情から大学進学をできなかったことの裏返しなのかもしれない。
せっかくなので、いくつか僕が貰い受けようと思い、本棚を漁っていた中に、「歩兵第六十三連隊、松原第二中隊、陣中日誌」というものがあった。
大陸を転戦した曽祖父
本を開き中を確かめると、どうやら祖父の父・曽祖父の戦時中に所属した部隊の陣中日誌のようであった。
本の最初の方に、曽祖父の名前と最終的な階級、戦死した日付、戦死した場所が記載されていた。
その当時の状況などを知ることができないかと、中を調べてみることにした。
どうやらこの史料は戦後50年くらい経った後に、防衛庁に保存されていた松原第二中隊の陣中日誌をコピーして制作されたもののようである。
しかし、資料は昭和13年5月31日までの記録であり、僕の曽祖父の召集された日は昭和13年8月1日であり、曽祖父に間接的にでも関係する記述は一切なかった。
防衛庁に保存されていたという史料が途中までしかないのは少し疑問だが、戦時中において記録を残すのも困難になった、あるいは戦中戦後の混乱の中で記録を紛失してしまったのだろう。
陣中日誌の中には作戦参加者の名簿もあったので、もし記録が曽祖父の所属時まで残っていたならば、記録を探れたかも知れない。
せっかくなので、「歩兵第六十三連隊史」を調べてみた。曽祖父の所属していた期間、歩兵第六十三連隊は石家荘にあり、周辺の治安維持任務をしていたようである。河北省石家荘の南、福栄地区で戦闘を行っており、曽祖父もそこに参加していたと推測される。
その後、8月に復員命令が出て日本に帰還している。曽祖父の戦死日は昭和14年の5月であったことから、復員三ヶ月前。さぞ無念であっただろう。
個性の喪失という戦争
「歩兵第六十三連隊史」にも「陣中日誌」にも曽祖父の名前は確かに戦死者として記されていた。しかし、はっきりと書かれていたことは「戦死した日付」と「戦死した場所」だけである。
どこでどんな戦いをしたのかは間接的にしか残っていない。
陣中日誌に至っては最初のページの地図すら、都市の配置を正確に再現していなかった。
悲しい哉。
それが戦争ということなのだろう。
祖国防衛の代償が、己の「個性の喪失」であると。
史料からは英霊たちに最大限の敬意を払っているのは読み取れる。だが、やはり限度は知れている。
戦争の中で、こうも人は個性を描かれることなく命を散らすのか。
まとめ
今回は、曽祖父に関する戦争の記録を調べてみた。戦争というものを別の側面から見るいい機会だったと受け止めている。
曽祖父の影は間接的にしか追えなかった。それが今を生きる僕には、個性のない、空虚なものにすら感じられた。
それと同時に、個性には戦争への嫌悪感が眠っているのではないかと考えた。
宗教や国家は、時に、本来一人一人固有のものである「個性」を侵食する。
「あなたは日本人である」が「日本人だからあなたである」に変わる瞬間があり得る。それはもはや個性ではない。
もし自分自身に唯一無二の個性を見出せるならば、それは戦争という「無個性を生み出す行為」へのアンチテーゼとなり得るのではないか。
多様性を尊重する現代の流れは、間違いなくその可能性を秘めている。
戦争の見方や考え方も、この多様性の時代が広げ、深めて行ってくれるに違いない。
参考文献
歩兵第63聯隊史編纂委員 編『歩兵第六十三聯隊史』,歩兵第63聯隊史刊行委員会,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12285303 (参照 2025-08-14)