
illustration by 林慎太郎pixiv
今回は「武田勝頼の物語における圧倒的正ヒロイン」、時代の趨勢を背負った悲運の姫君、龍勝院ちゃんについて紹介です。
目次
人物紹介
高野山成慶院「信濃国供養帳」
龍勝院は高野山成慶院の「信濃国供養帳」において、「信州諏方四郎殿御前様」「元亀二年九月十六日死去」「龍勝寺殿花萼春栄禅定尼」と記述のある女性である[1]。このことから、諏方四郎=武田勝頼の妻であったことがわかる。
龍勝院と遠山夫人同一人物説
高野山に位牌を納められる身分なので、武田勝頼の正室だったと推定される。
武田勝頼の正室は二人いたことが知られており、一人は勝頼と共に最期を共にした北条夫人である。北条夫人は天正10年に亡くなっているので、龍勝院とは明らかに別人物である。
もう一人、勝頼の最初の正室である遠山夫人は甲陽軍鑑によれば永禄11年の死去とされている。しかし、
- 勝頼の正室と考えられる
- 他に候補となる人物がいない
- 甲陽軍鑑の記述は細かい部分で信用性が低い
として、現在は「龍勝院=遠山夫人」という同一人物説が定説である。以下、この定説に則った人物紹介である。
生没年
生年
龍勝院(遠山夫人)の生年に関しては直接的な史料はないが、他の史料から逆算が行える。甲陽軍鑑によると、諏訪勝頼の元に嫁いだのが、永禄8年11月13日で、その時15歳だったとのことなので、生年は天文18年11月14日~天文19年11月13日ということになる[2]。
幅を持たせて表記をしているが、それすら正確ではない可能性は存在する。
没年
高野山成慶院『信濃国供養帳』に没年は元亀二年九月十六日と記載されている。22歳、、、。あまりにも儚い、、、。
定説人物紹介
武田勝頼の正室。武田信勝の母。父は遠山直廉で母は織田信長の妹とされている。幼少期に叔父である織田信長の元へと養子に出された。
これだけでも察しはつくであろう。実家織田家といずれ争い合う武田の御曹司・四郎勝頼の元に嫁いだという、まさに
悲劇のヒロインなのである。
武田に留まることも、織田家に戻ることも、実家遠山家に戻ることも(織田と武田が険悪になる時点で実父の直廉は死亡 諸説あります。研究テーマを参照。 )ままならない、行き場を失った彼女。最終的には、勝頼君の元に居ることを選んだ。勝頼君の優しさに惚れたから!?かもね^^
一般に遠山夫人、あるいは法名から龍勝院(龍勝寺殿)などと呼ばれる。
研究テーマ
①龍勝寺に墓所があったという口伝の検証
②近江水口が化粧料であったという口伝の検証
滋賀県甲賀市水口に化粧料があったという説[4]。詳細はこちらの記事(近江水口龍勝院化粧料仮説)にまとめている。文献資料からは現状確認できていない。現地に赴いて、武田山長敬寺などの調査を検討中である。
以降、「近江水口龍勝院化粧料仮説」と呼称する。
最新の動向
③諏訪湖の御神渡りの記録を用いた龍勝院の研究
④龍勝院と遠山夫人同一人物説の追検証
その他の研究テーマ
龍勝院研究はそれと関係する周辺の研究とも関連している。テーマだけ列挙しておく。
- ⑤龍勝院の父、遠山直廉の死去はいつなのか
- ⑥武田勝頼の華麗な攻略。遠山18城の謎
- ⑦河野島の戦い〜龍勝院と快川紹喜の政争の跡を探す〜
しんたブログ企画「龍勝院ちゃんによる武田勝頼浮気調査」
龍勝院研究会のご案内
まとめ
これからも龍勝院ちゃんを追いかけていきましょう。
参考文献
[1] 信濃史学会 編『信濃 [第3次]』61(12)(719),信濃史学会,2009-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11199604 (参照 2025-05-19)
[3]山梨新報「はな菱の墓標」https://www.y-shinpou.co.jp/up_img/file/0131yamanashi-7.pdf
[4]テンヨ「テンヨのはなし」https://www.tenyo-takeda.co.jp/activity/abouttenyo/takedake.html