
絶世の美女と謳われるお市の方。“龍勝院ちゃん曰く”、龍勝院ちゃんはお市の方より美人だった!?
というわけで、時には龍勝院ちゃんの惚気話を聞いてみよう(?)
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目次
絶世の美女
“絶世の美女”。それはこの世に二つとない美女のことである。女性に対する最上級の褒め言葉だろう。
ただし、容姿の美しさだけでは「絶世」の称号は得られない。教養や政治力もまた、必要条件なのである。
美しい容姿や深い教養で時の権力者を酔わせ、国すらも滅ぼしてしまう。そのような美女を「傾城傾国(けいせいけいこく)」とも呼ぶ。
クレオパトラと楊貴妃はまさにそのような代表格であろう。彼女たちは単に皇帝に愛されただけでなく、その愛を利用すらしたのである。
戦国時代の日本にも絶世の美女と謳われる人物がいた。それが「お市の方」である。
お市の方
戦国時代においては「お市の方」が絶世の美女と謳われることが多い。少なくとも「天下一の美人」とは思われていたようである。
お市の方は織田信長の妹で、天文16年(1547年)に生まれ、永禄10年(1567年)か永禄11年(1568年)に北近江を領有する浅井長政へと嫁ぐ。
この結婚は織田信長が京へ上洛する道中の安全を確保するための婚姻同盟を目的とするものであった。
しかし、永禄13年に織田信長が越前朝倉義景と対立すると、浅井長政は朝倉家との同盟を優先し、織田信長と敵対する。
浅井長政は織田信長に滅ぼされ、また後年結婚した柴田勝家も羽柴秀吉に滅ぼされる。
二度も嫁ぎ先が滅ぼされた上に、最後は娘たちを逃して自らは勝家と共に死を選ぶ。壮絶な人生から、悲運の女性として戦国ファンの心を掴んで離さないのである。
龍勝院とお市の方の比較
二人の共通点
お市の方は信長の妹で、龍勝院は信長の養女(母が信長の妹)である。二人とも信長の親族という立場であるが、お市の方が序列としては上と考えられる。また、お市の方は天文16年生まれ、龍勝院は天文18~19年生まれと推定されるので、年齢的にもお市の方が少し上である。
お市の方の結婚は永禄9年に一度頓挫したとwikipediaには書かれている。深入りはここではしないが、この記述を元にするならば、お市の方と龍勝院の結婚は同時期に調整されたことになり、どちらも永禄9年の上洛のための外交調整である点は共通している。(この上洛は斎藤龍興の裏切りで失敗。龍勝院はすでに輿入れしていたが、お市の方の輿入れは翌年以降になる。)
二人の夫はそれぞれ、浅井長政は天文14年生まれ、武田勝頼は天文15年生まれであり、年齢は非常に近い。その上、両者ともに「織田信長」に滅ぼされるという点も共通している。
二人の異なる点
以上のように、一見非常に似通った二人であるが、異なる点がある。
お市の方と婚姻中に織田信長と敵対した浅井長政に対し、龍勝院存命期間中は武田と織田は全面衝突を起こしていない。(ただし、永禄13年ごろに勝頼の官位申請を信長が妨害した可能性はあり、水面下での軋轢はあった可能性が高い。)
その上、龍勝院の夫武田勝頼は、龍勝院との婚姻中は武田家中における「織田派」として活動していた可能性が高く、夫婦関係を通して武田・織田の外交関係を取り持っていたという点では龍勝院の方がお市の方と比較して、上手くやったと評価できるのではないだろうか。
この点は以前のブログ記事「史料調査報告〜甲陽軍鑑「品第三十七」-龍勝院への愛か、プライドか。戦う四郎様!!~」でも紹介した。
もちろん愛情だけで説明することはできず、武田勝頼の家中における不安定な立場につけ込んだと考える方が自然である。

とはいえ、龍勝院の実家は苗木遠山家であり、武田・織田・遠山の三家の思惑を背負っている点でも難しい立場にあったのは間違いなく、その状況から考えればやはり、龍勝院の方が上手くやったと言えるだろう。

惚気話の検証法
本記事の惚気話は完全に著者の主観的な評価である。歴史研究においては主観をそのまま受け入れることはできない。
では、どのようにして「龍勝院ちゃんはお市の方より美人だった」という主張を検証すればよいのだろうか。
本記事では、惚気話の検証法として以下の3つの観点を紹介しておく。
1.同時代評価の有無
お市の方は「絶世の美女」として後世に語られるが、同時代史料にどの程度その評価が見られるか。一方、龍勝院に関しては外見評価の史料がほぼ存在しない。この非対称性をどう扱うかが重要となる。
2.婚姻・外交における影響力
戦国女性における「美」は単なる容姿ではなく、政治的価値と結びついていた可能性が高い。
龍勝院は武田・織田関係の緩衝材として機能しており、この点を「魅力」の一形態とみなすことができる。
龍勝院の政治的な影響力を調査することが、彼女の美しさの検証につながるのである。
3.結果論バイアスの排除
お市の方は悲劇的最期ゆえに「美化」されている可能性がある。
一方、龍勝院は比較的安定した関係の中で役割を果たしており、物語性に乏しいため評価が低く見積もられている可能性がある。
特にお市の方に関する史料は彼女の娘と結婚した豊臣秀吉によって広まった可能性もある点も注意して扱う必要がある。
以上を踏まえると、「絶世の美女」という評価は必ずしも客観的なものではなく、後世の物語的要請によって形成された側面が強いと考えられる。
したがって、「龍勝院ちゃんの方が美人だった」という惚気話も、単なる空想とは言い切れない余地があるのである。
まとめ
ヒロインはどうしても「悲劇性」を求められてしまう。しかし、真のヒロインは悲劇など残さないのである!
もしこの考察が正しければ、龍勝院ちゃんは戦国史に燦然と輝く絶世の美女ということになる?、のかはわからないが...。
少なくとも戦国時代における女性の中ではトップクラスの実績を残したと考えることができる。
もし“美”を政治的影響力まで含めて定義するならば、龍勝院こそ、戦国史における“絶世の美女”だった可能性がある。
そして、なかなか本音を打ち明けることが難しい時代。本当は龍勝院ちゃんの方が勝頼君のこと好きだった可能性も?
更なる研究をお楽しみに!